デトロイト総領事の眼差し
令和7年12月5日
デトロイト総領事の眼差し Vol.13
庭が語りかけてくる ―生まれ変わったクランブルック日本庭園
庭が語りかけてくる ―生まれ変わったクランブルック日本庭園
令和7年 (2025年) 12月5日
在デトロイト日本国総領事
総領事公邸から徒歩7分ほどの場所に日本庭園があることは気づいていた。今年2月1日、クランブルック冬物語レセプションで日本庭園改修のためのオークションをしていたから。在デトロイト日本国総領事
岸守 一
クリーブランド日本庭園の赤い鳥居ほどではないが、赤い太鼓橋以外は日本らしさを感じない「なんちゃって」日本庭園だと思っていた。あの日、内山貞文先生が護岸工事のためにクランブルックを訪れるまでは。
思えば20XX年、国交省日本庭園改修予算を得て、既に内山マジックは始まっていたのだ。冬物語で調達された資金を元に内山先生がクランブルックで作業を再開したのは今年4月のまだ寒い日だった。そして10月20日のリボンカッティングで一区切りがついたのだ。
その間、ウィトコップ館長は更なる資金調達のための食事会や盆踊りを開催し、地元コミュニティの関心を惹起した。リンゴ会発祥の地であるクランブルックは日本商工会とも縁が深い。日米協会ゴーイン事務局長は30年前から日本庭園を支援している。いろんな方達の想いが一つになって、クランブルック日本庭園の改修は着々と進んでいた。しかしそれは、伝説の庭師である内山貞文先生のご助力なくして、実現し得なかった。
「私が庭を造っているんじゃありません。庭の方から私に語りかけてくるんです。」
内山先生が静かにそう語ったとき、私は夏目漱石の夢十夜にある夢六夜を思い出していた。それは鎌倉の仁王像を彫った運慶の話だ。運慶は言う。「自分が仁王を彫ったのではない。木の中に眠っていた仁王を外に出してやるため、鑿を使って出るのを助けただけだ。」
日本人は古来、自然の中に人間を超越した何かを見ている。主に西洋人が自然は人間の生活を便利にするための外的環境にすぎないと見なしてきた歴史の中で、日本人は特異である。そしてそのことを日本人としての私は誇りに感じている。そして私は、庭の方から語りかけてくるのだと仰った内山先生を尊敬している。
内山先生は、護岸工事のための岩や石を日本から運ばず、ミシガン産のものを使用された。「その方が風景に馴染むし、持続性があるんですよ。」微笑みながら内山先生がつぶやいた。
作業現場には内山先生を除いて全て地元の作業員しかいなかった。いつか自分が離れても、この庭がずっと整備されますように。それは内山先生の静かな祈りだった。
リボンカッティングは、内山先生とブース夫妻の3人だけで行った。ブース氏の曾祖父が110年前に創設したクランブルック日本庭園が再生した瞬間だった。